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第6話 好きになってあげて

last update publish date: 2026-07-24 05:54:58

 熱中症のあと、学校を2日休んだ。

 頭痛はすぐに治まったが、ダメージがお腹のほうに来たのだ。おかげでこの2日ばかり、トイレを友として過ごすことになってしまった。

 それでも3日目には復活して、僕は意気揚々と学校に向かった。ようやく朝の彼女に会うことができる。期待に胸を膨らませるとはこういうことなのだろう。今日はいいことがありそうな気がした。

「死にそうな顔してるわよ」

 月子は僕に会うなり言った。

「そ、そうかな? 僕は元気だし、今日は天気だし、今日も僕らのクラスは殺気で満ちあふれているよ」

「活気でしょ、活気。殺気で満ちてるクラスってどんなのよ? 怖すぎるわ」

 夏休みが近いせいか、ホームルーム前の教室はいつも以上に賑やかだ。僕のふたりの友人も、離れたところで、やたらと大騒ぎしている。

 その光景を遮るように月子が僕の目の前に立つ。

「彼女に何かあったの?」

「…………」

 僕は目を逸らした。真顔で月子が追い打ちをかけてくる。

「寝取られた?」

「だから、そんなことを、しかも教室で言うなよ~~~っ!」

 思わず叫んだら、クラスのみんなが一斉にこっちを向いた。

 ま、まずい。とりあえず僕は、なんでもないんだとアピールするために、笑顔でみんなに手を振ったが、こともあろうか月子がツッコミを入れてくる。

「よけいに怪しいなぁ」

「誰のせいだ!」

 僕が言うと、月子はフッと笑って窓枠に腕をのせつつ空を見上げた。

「きっと誰も悪くなかったのよ。彼女もまた歪んだ社会の犠牲者だったんだわ」

「いやいや、そんな三文サスペンスみたいなノリで誤魔化されないぞ。だいたい自分のことを他人ごとみたいに語るのはどうかと思う」

 ジト目で言うと月子はこちらに向き直って誤魔化すように笑う。

「ごめんごめん。けど本当にそっちの話なの?」

「今は言いたくない」

 さすがに人目があり過ぎるうえに、いろんなところから注目されている。

「わかった、それじゃあ、また後でね」

 それだけ言うと月子は僕に背を向けて自分の友人たちのほうに向かったが、問題なのは僕のほうの友人どもだ。

「どういうことだ、三日森?」

「どう見ても月子さんと仲良くなってるじゃないかっ」

 滝沢と田中が口々に言ってくる。

「お前達が考えているような関係じゃないから安心してくれ」

 適当に誤魔化そうと思ってそう言うと、滝沢が田中に問いかけた。

「俺はただの知り合いだと思っていたんだが、お前はどんな関係だと思ってた?」

「男と女の関係じゃないってことだけは考えていたぞ」

「てことは――」

 ふたりは顔を見合わせて同時にこちらを睨みつけてきた。

「男と女の関係なのかーーーっ!!」

 僕は面倒になって言った。

「じゃあ、そういうことにしとくよ」

「するなよっ!」

「信じねえよ、そんなの!」

 どっちなんだ、まったく。

 こんなバカなやりとりを聞いているのかいないのか、月子はどこ吹く風といった感じで友人たちとの会話に興じている。

 そんな彼女を見て、ふと思った。確かに、僕が彼女に恋をしていても不思議じゃなかったな、と。

 だけど実際には僕は彼女に恋をしていない。女の子として見ているし、魅力的だとも思うけど、僕としてはやはり電車の彼女が気になるのだ。

◆

「見知らぬ男とイチャイチャしていた?」

 放課後になって、ようやく月子とふたりで話すチャンスを見つけると、僕は朝のできごとを、まくし立てるようにして伝えた。

 そう、それは本当に悪夢のような光景だった。

 今朝に限って彼女と同じ学校の男子生徒が、あの車両に乗っていて、何やらひたすら話しかけていたのだ。

「話しかけられていただけなの?」

「だけって言われてしまえばそうだけど、その間ずっと彼女は楽しそうに笑ってて」

「その間、彼女は何か受け答えとかしていたの?」

「それは……僕の場所からは声までは聞こえなかったから」

「腕を組んだり、肩を抱かれたりとかは?」

「そ、それはなかったけど……」

「ただの……」

 月子は何か言いかけてから、難しそうな顔をして黙り込んだ。

「月子?」

「まあ……それはたぶん、ただの知り合いか何かだと思うけど、考えてみたらあんな美人に彼氏が居ないとは限らないのよね」

「…………」

 さあっと自分の顔から血の気が引く音を聞いた気がした。

「でも確かめたわけじゃないから、まだ間に合う可能性もあるわ。だから、三日森くん」

 月子は両手を僕の肩に乗せて真っ直ぐに顔を覗き込んできた。綺麗な顔が目の前にあって、さすがにドギマギしてしまう。

「告白しなさい」

「え……? 月子に?」

「わたしにしてどうするのよ!?」

 心底呆れたように言うと、月子は天を仰ぐ仕草までして身体の左右で両掌を上に向ける。サッパリダメのポーズだ。挫けずに僕は言う。

「ぼ、僕は告白はしないよ。だって僕は彼女の名前を……」

「寝取られてもいいの?」

「その精神攻撃はやめてくれっ」

「彼女の穢れのない白い肌に薄汚れた男の指が……」

「ぎゃあーーーーーーーっ!!」

 叫んで僕は逃げ出した。

◆

 学校を出て駅までの道をひとりトボトボと歩きながら、あらためて僕は考える。

 どうして彼女に恋をしたのか?

 僕は彼女の名前を知らない。

 彼女の住んでる場所を知らない。

 声を知らない。

 誕生日を知らない。

 血液型を知らない。

 家族構成を知らない。

 趣味を知らない。

 特技を知らない。

 好きな色を知らない。

 好きな花を知らない。

 好きな食べ物を知らない。

 好きな言葉を知らない。

 好きな音楽を知らない。

 恋人の有無さえ知らない。

 善人か悪人かすら判らない。

 こんなにもわからないことだらけなのに、どうして僕は彼女に恋をしたんだろう?

 どうしてこんなにも胸が苦しくなるのだろう?

 本当に理不尽な罠にでも落ちたかのような気分だった。

「三日森くん」

 不意に後ろから呼び止められて僕は足を止めた。

 ふり返ると見覚えのある女子が立っている。月子の友達で快活な彼女とは対照的に落ち着いた印象を受ける人だ。名前は確か――

「やあ、花山田さん」

「花屋敷よ」

 半眼で冷たく言われてしまった。惜しい線はいっていたと思うのだが。

「そ、そうだった、ごめん」

「いや、わたしの名前なんてどうでもいいんだけど……」

 そりゃまあ、わざわざ自己紹介のためにクラスメイトを帰り道で呼び止める人も居ないだろう。

「最近、ルナと仲が良いよね」

 ルナというのは月子のあだ名だ。どうも友達の間では、そんなふうに呼ばれているらしい。月だからルナという実に安直な呼び名だったが、ニックネームなどというものは得てしてそういうものだろう。

「もしかして、あの娘のことが好きなの?」

「え……?」

 たぶん、マヌケな声を出してしまったと思う。会話の流れを考えれば、そういう話をされておかしくないところだったのに、僕はまったく想定できていなかった。

「……違うの?」

 花屋敷さんの表情が曇る。友達に近づく男を煙たがるというのは聞いたことがあるけれど、そうでないのを残念がるというのは、どういう事情なのだろう?

「ねえ、三日森くん。もしつき合ってる相手が居ないなら、あの娘のことを好きになってあげて」

「え? ええっ?」

 突然のことに僕は目を丸くする。ふざけているのかと問いたいところだけど、花屋敷さんはむしろ必死に見えた。

「わたし、あの娘には幸せになって欲しいの」

 言いつのる花屋敷さんを僕は慌てて制する。

「ち、ちょっと待って、花屋敷さん。悪いけど、僕には他に好きな娘が……」

 そのひと言で花屋敷さんは完全に落胆したようだった。

 うつむき、肩を落としてつぶやくように言う。

「そう……。ごめん、無理を言って……」

 その姿は痛々しくて、さすがに僕は事情が気になった。

「ねえ、どういうことなんだい? どうして僕が月子とつき合うことで、彼女が幸せになるなんて思ったんだ?」

「月子?」

 僕が呼び捨てにしたことで彼女は少し驚いたようだった。

「あ……いや、それはそう呼べって、彼女が……」

「気に入られてるのね」

 花屋敷さんは弱々しい笑顔を浮かべる。それは泣き顔にも似ていた。僕はもう一度事情を問おうと口を開く。

「あのさ、詳しいことはわからないけど、僕で力になれることなら……」

「ううん、ごめんなさい。この話は忘れてちょうだい」

 彼女は頑なな拒絶の意思を示すと、背を向けて肩を落としたまま立ち去っていく。

 呼び止めようとして僕は躊躇う。なにを言うべきなのか、なにを聞くべきなのかもわからない。

 これまで誰も自分に踏み込ませないようにしてきた結果、僕は自分から相手に踏み込む方法まで忘れてしまったのかもしれない。

 ひとつ確かなのは花屋敷さんが月子のことを心配しているということだ。

 いつも自然体で明るい笑みを浮かべている月子。

 彼女になにか心配されなければならないようなことがあるのか?

 このとき僕は朝の電車で見た衝撃的な光景さえ忘れて、ただ月子のことばかり考えていた。

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